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1920年代、デヴィスカップに熊谷一弥、清水善三を送り込んだ日本のテニスは
世界の舞台で輝いていた。
しかし、全米3位までになった原田の晩年には、次第に力を落とし、
楽に勝てた国にも苦戦し、黒星を重ねるようになっていった。
日本人にあったテニスとは?を生涯追い続けた原田の遺書、それがテニスの原点である。
日本のテニスはクレーコートを基本に発展してきた。
それを支えてきたのがウエスタングリップである。
ところが福田雅之助がイースタングリップを唯一無二のものとして
紹介した為、日本のテニスは20年も30年も遅れてしまったと
原田は言う。
この20年代の活躍から50年後、再びウエスタングリップの王者
ビヨン・ボルグが彗星のように現れた時、
原田は意を強くしたのではないか?
それではウエスタングリップとイースタングリップ
それぞれどのような背景を以て発展したのか解明していこう。
芝のコートが中心のアメリカ東部では、打球の変化が多い芝コートに
適応する為、また低いバウンドの球を処理する為に
イースタングリップが生まれた。
しかし、アメリカ西部では事情が変わっていた。
雨がほとんど降らない西部では、芝のコートを確保するのが至難な為
ハードコートが発展した。
ゆえに高い打点に対応する為にウエスタングリップが生まれたのである。
日本の弱点は海外の情報が正しく伝わらない点である。
また柔道、剣道など、スポーツというより
道の概念が発展した為
形を追及することに傾きがちで、権威あるものが唱えた事に
異を述べる事を許さない風潮がある。
原田は、イースタンに異を唱えたのではなく
個々人の特性を追及する事を止めた日本テニスに警鐘を
鳴らしたのである。
福田雅之助がもたらした画一性に、死の直前まで憂えた男
それが原田武一であった。
今の世界の潮流がスペイン勢であり、
強いフォアハンドがウエスタングリップから生まれている事。
原田に先見の明があったと言えるのではないか。
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@若者は世界を目指せ。そのためにはいつの日か硬式に転向せよ。
A我が国の硬式テニスは、軟式テニスの基礎の上に発達した。軟式をやることに誇りを持て。
Bフォアハンドはウェスタンかイングリッシュリップでドライブやトップスピンを打て。硬式に転じたたら、軟式のトップ打ちを応用せよ。
C(プロを目指すのではなく、生涯スポーツとして硬式テニスを続けたいものは)イースタングリップの片手でバックハンドを打て。練習すればフラット、ドライブ、トップスピン全片手で打てるようになる。
D軟式のダブルスのネットマンのポジション二ング、動き方は現在の硬式ダブルスのレベルより上である。軟式の一流の前衛の動きから学べ。
以上です。各位のご意見をお待ちします。りんちゃん
素晴らしいコメントを有難うございました。
@からCまでの御指摘によって、新たに色々考える機会を
頂けた事、改めて御礼申し上げます。
原田は、画一性を嫌い、その精神を
ノーフォーム、ノーグリップという言葉で表しています。
その心は、どんなテニスを真似てもいいが
自分に合うか否かを早く見極め
自分自身のテニスを築けというものでした。
日本人の体格、能力にあったテニス。
その源流は、1920年から30年にかけて世界舞台において
活躍した選手にあったといえます。