ブログは書き手優先というコメントに励まされ
布井選手の話題を小出しにしていきます。
ブログは紙媒体と違い
即興性という面も無くはないので
こんなエピソードもあるんだよと言う
軽いエントリーです。今回は。
■布井良助選手は、神戸高商出身のシティボーイ。
この頃は、軟球と硬球の間の準硬式という
分野の畠山隆夫氏の最初の門下生として
知られています。
1930年代当時の日本庭球界では、
男子選手が女子選手のコーチを務めるのが
一般的でした。
原田武一と布井良助。
女子選手の間では、2大ハンサム選手として
人気があったようです。
この辺のエピソードは後日詳しく別記事で。
■松岡選手をソース顔にしたという表現からも
わかるように、当時としては長身の選手でした。
その長身を生かした高い打点でボールを捉え
相手のスピードに合わせてコントロールし
角度鋭く深い返球を得意としていました。
これってライジングじゃないですか?
テニスの歴史って宝石箱を開けるように
わくわくどきどきしますね。
それでは、又!


スポンサードリンク
【日本テニスの偉人の最新記事】